しゅんせいしゃ
京都府京都市下京区俊成町438
この社は平安時代(794年~1185年)末期から鎌倉時代(1185年~1333年)初期にかけ,当代一の歌人といわれた藤原俊成卿を祀る。 元久元年(1204年)11月30日,九一歳の天寿を全うした後..
この社は平安時代(794年~1185年)末期から鎌倉時代(1185年~1333年)初期にかけ,当代一の歌人といわれた藤原俊成卿を祀る。 元久元年(1204年)11月30日,九一歳の天寿を全うした後,町民が民家の裏に祀ったと伝承される。 俊成卿の本邸宅は,五条大路(現在の松原通)の烏丸小路から室町小路に及び,そのため卿は五条三位と呼ばれていた。 寿永二年(1183年),「千載和歌集」を撰集せよとの後白河院の院宣が,俊成卿に伝えられ,時あたかも木曽義仲が延暦寺に入ったとの報に,平家公達の都落ちが始まっていた。 平清盛の弟平忠度も,鳥羽のあたりまで落ちていたが,どうしても,自らの秀歌から一首でも,この「千載和歌集」に採歌してほしいという想いを抑え切れず,俊成卿の五条の家まで引き返し,秀歌の巻物を差し出した。 俊成卿は,「ゆめゆめ粗略にはいたしません。お疑いのないように。」と返答した。千載和歌集は文治四年(1188年)に完成し,その中の一首は,俊成卿の歌の境地を示している。 世の中よ道こそなけれおもひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
京都市営地下鉄 烏丸線 「四条駅」徒歩約3分