武石氏嫡流没後、里見家などに残った武石氏の末裔達により、先祖顕彰と供養の為、武石城跡に代々の神霊が祀られ「おたけし様」と称されてきました。
当地には、古くから石塚が祀られていましたが、神社の創建年代は不詳です。宝暦六年(1756年)に、武石氏末裔で上総国天羽群の、武石勝左ヱ門胤清翁が、武石神社に詣でて奉賽したと伝えています。この翌年、当時の村人達は、武石氏や、その後の領主、馬加氏を回顧し、明神の元祭司であった、馬加康胤家臣小川采女(うねめ)の子孫を神主として招き、祭儀を執り行いました。
昭和十五年(皇紀二千六百年奉祝の年)、胤清翁の子孫、武石豊次胤興翁当社に参拝し、小川定右衛門氏の協力を得て社殿を造営、鳥居と社号標も建てられました、現社殿の社号標額は、当時のものです。鳥居はその後に立て替えています。
平成十九年十月、社殿を改築造営し、参道の敷石が敷設されました。
造営を奉祝して、奉賀者芳名碑を建立し、この由緒板をさくせいしました。
三代王神社社務所 産土神主 記(境内の御由緒より)