社伝によれば文化元年(一八〇四)に勧請されたと伝へられている.明治五年(一八七二)各新田の明細帳には「近江嶋新田 一神明社壱ケ所」とあり、近江嶋新田の産土神として崇敬されていたことが判る。明治四三年(一九〇九)当社を含め村内各字鎮座の神社二〇余社を、当社鎮座地に合祀し、社名を木曽岬神社と改めた。昭和二一年(一九四六)氏子崇敬者の総意により見入神社、彦作神社、西対海地神社、諏訪神社、海地神社、田代神社、和泉神社、小和泉神社、源緑輪中神社、雁ケ地神社、川先神社分を分祀し、五月には宗教法人として届け出、宗教法人木曽岬神社となった。同二七年四月、それまでの木曽岬神社の社名を近江島神社に改称し、現在に至っている。