ますがたいなりじんじゃ
青森県八戸市根城1-4-11
天正十九年 (一五九一) 五月七日櫛引河内守清長の居城。櫛引城落城の際、其の家臣上野左衛門、館村の居宅より、其の家敷神稲荷の神体を奉じ此の地に落ち来り。宝暦三年二月 (一七五三) 神社を造営して奉祀..
天正十九年 (一五九一) 五月七日櫛引河内守清長の居城。櫛引城落城の際、其の家臣上野左衛門、館村の居宅より、其の家敷神稲荷の神体を奉じ此の地に落ち来り。宝暦三年二月 (一七五三) 神社を造営して奉祀 (現在の神社の後側、この地を俗称古宮と云う)、野氏は代々此の地に住し奉仕。其の子孫足軽となり、神社側に屋敷を賜う。慶応年間 (一八六五~六八) は上野市太郎と云う。 天明二年 (一七八二) 七月五日足軽の居宅を惣門町より舛形 (現、上組町) に移転して、舛形の警備をせしむ。同年舛形の鎮護として、当社を古宮の地より現在地に遷座す。 天明三年 (一七八三) 上組町小頭、沼館与助他五名、京都伏見稲荷に至り、其の分霊を奉じ、帰郷後奉祀す。 慶応元年秋田の三吉神社の分靈を合祀す。 青森県神社庁公式サイトより。
宇迦之御魂神
十月三日