祭神は建御名方神と八重事代主神。
延暦十六年(797)、桓武天皇より蝦夷平定のため征夷大将軍を拝命した坂上田村麻呂は、かねてより信州の諏訪大明神を深く信仰しており、そのおかげで戦果を挙げ、延暦二十年(801)、平安京に凱旋した。
社伝によれば、その御礼のため、五条坊門の南に社殿を造営し、信州より諏訪大明神の分霊を勧請し祀ったのが創始である。
以来、時代を経るごとに社殿も荒廃していったが、その都度、源義経や足利義満、徳川幕府らによって社殿と境内地が復興された。
特に元治元年(1864)の禁門の変(蛤御門の変)の兵火では、社殿はことごとく焼失し、再建もおぼつかなかったが、孝明天皇が再建のためにと、金百五十両と菊の紋入りの提灯一対を下賜され、慶応二年(1866)に再建し、今日に至っている。
祈念祭は三月十七日、例祭は九月の第二日曜日、火焚祭は十一月十七日。また一日と十七日の月二回、月次祭が執り行われる。
京都市(境内前の御由緒より)