創建由来は不明なれど、太古は社領八十町歩を有せしと云う。
神仏混合時代には法印六坊・大宮司等がおり高さ三尺余りの自然石墳墓に「権大僧都信興阿闍利墓、永禄二年巳未年(一五五九)三月一六日」との記載があり、それ以前に建立されたと思われる。
明治六年三月一四日に村社となった。
(明治時代になると、近代社格制度が整えられ神社は官社と
諸社に分けられ、府社・藩社・県社・郷社・村社・無格社に分けられたが、この制度は昭和二一年に廃止された。)
毎年三月十日には五穀豊穣祈願の、祈年祭十一月には収穫の恵みに感謝を奉げる、新嘗祭十二月十一日には繁栄と幸せを祈る、例大祭又、春三月、秋九月に社日祭等が宮総代や両座組によって催される。