こばやかわじんじゃ
福岡県久留米市篠山
毛利元就の末子として永禄 あきにく 十年(一五六七)安芸国に 出生。のち兄小早川隆景の 養子となる。初名は元総。 たかかげ 容姿端麗な美童であったという。
小早川神社小早川秀包公命。 ね。ご祭..
小早川神社小早川秀包公命。 ね。ご祭神しにみねこうのみこと (毛利)
秀吉に仕え、紀州雑賀・四国・九州の各地で戦功を上げ、筑後三郡七万五千石を与えられた(後に十三万石に加増)。現在の久大医学部グラウン ドの西側スタンド付近を中心に城を築き、国を治 めた。関ヶ原で西軍に付いたため、敗戦により領 地を失う。その後は長門の本家に隠棲し、慶長六 年(一六〇一) 三十五歳で没した。 なかと いんせい 夫人は豊後のキリシタン大名として有名な大友宗麟の七女・引地(マセンシア)で、夫婦とも熱 心なキリシタンであった。この神社の石扉にはキ リシタンと関係の深いアンドレアス十字が刻まれ ている。
小早川神社小早川秀包公命。
有り