明治三十五年九月沼の沢一部高台(現高木氏宅付近)に祭られていたが翌三十六年ごろ七部に移つされ、森田仁三郎らが中心となって八幡社の祠を建立した。当時この神社は単に七部だけのもので部落会長が移転するたびこれにつれて祠も移った。
明治四十五年九月現在地に遷座、沼の沢神社と称したが、七部では八幡社が移ったあと現加藤氏宅に稲荷社を祭った。
大正十三年八月十四日宮大工藤村福三郎によって新しい社殿が建立され、十五年十一月鳥居が建てられたがこれは夕張で最初の石造り鳥居といわれている。(祭神誉田別尊、例祭九月十四日、十五日)
昭和三十四年四部にあった相馬神社(相馬大明神・天之御中主大神)を合祀したが、同神社は大正四年ころ四部の佐藤金六が教理郷里福島県の相馬神社(妙見社)を招き、畜産に関係深い馬頭観世音菩薩を祭っていた。