当社はこの高坂の鎮守として祀られ、大同年間(806-10)、坂上田村麻呂がこの地を通った時、日本武尊が東夷征伐の折にここに陣地を置いたという故事にちなみ、尊の武徳を追慕してその旧跡に社を建立し八剣明神社と号したことに始まるという。神宝として大切に保管されている春日の作と伝えられている猿田彦の面は、源頼朝が奥州征討の折に、当社に祈願したところ霊験あって戦勝を得たことを感謝して奉納したものであるという。
観応年間(1350-52)には、高坂城主であった高坂刑部の祈願所となり、江戸時代には、天和元年(1681)までこの地を領した加賀爪氏も守護神として崇敬した。