本社の鎮座する福崎の地名は、『神鳳抄』に福崎御厨二五万二石とありさらに『豊臣検地帳』に北福崎二一六石とみえ、『勢陽五鈴遺響』には豊田郷に属すと記載されており、当集落の古さを物語っている。当社創祀の年代は大正年間(一五七三~九二)以前とする社伝以外には史料はない。江戸時代には、氏神として近郷の人々の崇敬をうけている。明治四一年には同境内社火産霊社・山神社共に農田村鎮座の八十積椋神社に合祀された。しかしながら、氏子崇敬者の熱望により、昭和五年(一九三〇)社殿等境内設備を整え分祀された。その後、同二六年神社本庁より創設の認可を受け宗教法人として届け出、現在に至っている。