くろどいなりじんじゃ
大阪府吹田市豊津町38-1
当社は主祭神に 穀物・食物の神「保食神」をお祀りし、蔵人地域の鎮守の神として創建以来、広く住民の崇敬を集めて来ました。 この地域は、北に千里丘陵があり、南には東西に流れる神崎川の堤がさえぎり、東..
当社は主祭神に 穀物・食物の神「保食神」をお祀りし、蔵人地域の鎮守の神として創建以来、広く住民の崇敬を集めて来ました。 この地域は、北に千里丘陵があり、南には東西に流れる神崎川の堤がさえぎり、東側に糸田川、西側に高田川と千里丘陵から流れる雨水を神崎川へ導く築提で四方を囲まれた地にあります。わたしたちの祖先は、古来から水と深くかかわりをもち、幾多の水難を克服しながらも、稲作を生業として暮らしてきました。 五穀豊穣を祈って「保食神」を主祭神にお祀りした祖先の願いが伝わってくるようです。 元禄五年(1692年)に書かれた「榎坂村蔵人村寺社御改帳」に、「神社の勧請年暦は久遠のことでわからないが、今は境内に御本殿・拝殿・鳥居・宮道が揃った神社である」と記されています。このことから、当社は蔵人の村が成立したときからお祀りされるようになり、十七世紀に後期(第五代将軍徳川綱吉の頃)には、すでに 現在のような景観を成していたと思われます。 神社には、創建当初から近年まで、神職は不在で、氏子が順番で神役を務めたとされ、また、社殿などの維持・管理は、氏子から寄進された宮田からの年貢や氏子の割り持ちの寄金によって運営されてきたことが、記録に残されています。 さらに当地は江戸末期まで、旗本森氏三家が支配するところとなっていましたが、この三家は、神社への崇敬の念篤く、毎年御供米の献上がなされていたとの記録がありまた、氏子が森氏の武運長久を祈って奉納した絵馬が現存するなど、古い時代の政の一端を今に残しています。