かんだみや
静岡県富士宮市大宮町18
子の地は古く稔田(イハヒタ)の森といわれ、室町時代には既に富士山本宮浅間大社の御神田があった場所である。 浅間大社の御田植祭は、富士地方の人々が富士山の雪解け水を灌漑用水として田植えを行い、無事..
子の地は古く稔田(イハヒタ)の森といわれ、室町時代には既に富士山本宮浅間大社の御神田があった場所である。 浅間大社の御田植祭は、富士地方の人々が富士山の雪解け水を灌漑用水として田植えを行い、無事終了したところで、豊かな秋の稔を願い行われた。また、この日は田植え仕事を休み、各地から商人が集まり賑やかな市が開かれ、これを神田の市といった。 御田植祭は、永らく六月二十八日に行われていたが、明治二十八年に七月七日に改定された。当初、御田植祭にはその都度富士山本宮浅間神より浅間大神をお招きし神事を行っていたが、大正八年七月六日に富士山本宮浅間大社より浅間大神が分霊された。
浅間大神(木花之佐久夜毘賣命)
七月六日 午後五時 宵宮祭 七月七日 午後二時 御田植祭