じしょういん
秋田県潟上市天王字天王71
当院の開基は太田善兵衛政唯(まさただ)で、江戸城を築城した武蔵国の太田道灌の末裔(まつえい)である。政唯の父資政(すけまさ)は会津若松に住んでいたが、政唯は故(ゆえ)あって天王村(現潟上市)に下り、..
当院の開基は太田善兵衛政唯(まさただ)で、江戸城を築城した武蔵国の太田道灌の末裔(まつえい)である。政唯の父資政(すけまさ)は会津若松に住んでいたが、政唯は故(ゆえ)あって天王村(現潟上市)に下り、菊地吉之丈に奇遇(きぐう)し、のち船越(現男鹿市)に居を構えた。 かねて禅宗に帰依していた善兵衛政唯は、同村塩口・櫻庭金之丈の助力を得て、一宇の堂を建立し、久保田城下の歓喜寺 三世生山祖長大和尚を招請して自性院を開闢(かいびゃく)。時は慶長年間(1596~1615)と伝えられている。
龍巌山
曹洞宗
釈迦牟尼仏
北国八十八ヶ所霊場 第五十一番札所 男鹿三十三ヶ所観音霊場 第一番札所