よだゆうじんじゃ
宮崎県延岡市上伊形町黒原
今から四百年ほど前の天正年間のころに、与太夫神社の祖といわれる与太夫京五郎さまが、大分県北部より大友宗麒を避けてこの地に落ち忍ばれたそうです。 この谷は昔から水の切れること無く、溜池の下は元より岩..
今から四百年ほど前の天正年間のころに、与太夫神社の祖といわれる与太夫京五郎さまが、大分県北部より大友宗麒を避けてこの地に落ち忍ばれたそうです。 この谷は昔から水の切れること無く、溜池の下は元より岩盤にて平坦で広く、身を隠して住むには不自由ない土地であったと思われます。 それから時代を経て、ある坊さんが山に入っていったところ、「与太夫京五郎弥陀仏」とあるお墓を見つけ、その土地に居を構えました。 与太夫様は病を治す神として奉られ、そのお力にすがる人々が一日に千人を超す盛況ぶりで、村に人はお坊さんを下げてお宮を建て本殿に合社して与太夫大明神と名付けました。 その後だんだん参る人が少なくなり、村も引き上げ、昭和十二年に今までのお礼として鳥居を建てました。 神社のお世話をする人もいなくなり、神社への道も荒れ果ててしまい、雨の時には谷の中を通っていくしかありませんでした。昭和四十年頃から、与太夫様への感謝の気持ちを持つ当時を知る人々が月命日の旧二十三日になるとお通夜をしてお参りをするようになりました。 現在は毎月の月命日に与太夫様を偲んでお参りをしています。
与太夫大明神
與太夫神社
毎月 旧暦23日 旧暦10月23日前後に大祭