こまたけいなりじんじゃ
兵庫県神戸市長田区駒ケ林町1-9-16
当社の創建年月は不詳なれど、地元では江戸後期の文化・文政時代(1804~)と伝承されている。 元駒ケ林町1丁目3番地(旧駒ケ林村字東之町東端)に鎮座していたが、神戸市都市計画事業による市道五位池線..
当社の創建年月は不詳なれど、地元では江戸後期の文化・文政時代(1804~)と伝承されている。 元駒ケ林町1丁目3番地(旧駒ケ林村字東之町東端)に鎮座していたが、神戸市都市計画事業による市道五位池線の開設に伴い、昭和39年10月現在地に遷座した。 御神霊は高取山より迎えられたと伝えられ、毎年寒中に「野施行」と称して、一同行列をなし、太鼓をたたきながら高取山に参拝登山する行事があったが、移転前頃廃絶した。しかし、その名残りか今も、初午祭に油揚げと赤飯のおにぎりが、神狐像や境内の塚に供えられる。 一ノ谷合戦の折には、安徳天皇の御座船が当地沖合いに停泊し、海上への敗走口となったため、駒ケ林町4丁目の「平忠度公腕塚」の示すごとく、主戦場の一つとなった。旧社地隣りの地蔵堂の六体の石塔は、寿永3年(1184)の平氏方の戦死者を祀ったものと伝えられる。 又、海難者慰霊のため、文政6年(1823)建立の徳本上人の名号石がある。