社伝に、知多大野領主、米津道寿、その 子道膳と共に中根城を領し、南方漁村に城塞を築いて、 米津村を開拓し城の南東に、明応年間(一四九二—五〇〇)津島天王を勧奨創祀した。慶長九年頃(一六〇四)度々の洪水により、社地を今の地に遷す。宝暦年間(一七五〇一六三)領主三浦庄兵衛、社殿を造営、天 明三年(一七八三)浅間山噴火に際し祈祷の神饌料を 供進す。文化四年(一八〇七)拝殿を再建、明治五年 十月、村社に列格する。同四十年十月二十六日、供進 指定社となる。大正二年、天満社、稲荷社、天満社、鍬 社を合祀、同三年荒神社、春日社を合祀、昭和二十年 一月、三河地震により神楽殿倒壊。同三十四年九月、 伊勢湾台風で仮神楽殿等大破す。同三十五年神楽殿を 再建。同三十七年十月二十六日、社務所全焼。同四十一年三月、社務所を再建(旧愛知県神社庁々舎)。同五 十五年十一月、本殿(覆殿)を改築した。