こうづまじんじゃ
宮崎県小林市野尻町紙屋1468
旧称を入神大明神と称し、素盞鳴命、猿田彦命、大山祇命の三神を当時の「神谷村」、現在の紙屋村に古くから祀っていた。 『三国名勝図会』によると、「鎮守として、高妻八社大明神があり、猿田彦命を祀り、天明..
旧称を入神大明神と称し、素盞鳴命、猿田彦命、大山祇命の三神を当時の「神谷村」、現在の紙屋村に古くから祀っていた。 『三国名勝図会』によると、「鎮守として、高妻八社大明神があり、猿田彦命を祀り、天明六年(1786)再興の棟札があるという」とある。また『日向地誌』によると、素盞鳴尊を祀り、旧称八社大明神といったが、明治初年に高妻神社と改め、さらに紙屋神社と改めたとある。明治四十三年一月二十五日、旧道沿いの秋社野の小高い丘の中腹にあった秋社野大将軍神社を当神社に合祀した時秋津毘古命を加え、四神となった。 この時より高妻神社と改めた。その後(年代不詳)当神社は火災となり棟板二枚の焼残りを現在奥殿に安置している。 昭和十三年七月当村氏子の念願かなって再興社殿の新築となった。四神を合祀し神鏡を奉祀してある。境内には樹齢四百年以上の杉その他常緑樹が繁っている。大正初期より末期まで城攻踊、棒踊り、伊勢神楽等奉納があった。昭和初期頃より永年例祭には剣道奉納試合が盛んに行われていた。 境内には大正元年九月高木兼寛男爵(海軍医総監)が県下の優良校であった紙屋小を訪問後、当神社参拝したのを記念した巨石の記念石がある。明治十年の役の戦没者十二柱を祭った招魂社を昭和三十五年に紙屋の弓場から移転奉祀し、同年にまた大東亜戦争の戦没者陸軍九十六名、海軍二十二名計百十八柱の忠霊碑が、遺族会によって建立されている。
猿田彦命(さるたひこのみこと) 素盞鳴命(すさのおのみこと) 大山祇命(おおやまつみのみこと) 秋津毘古命(あきつひこのみこと)
村社
永禄三年(1560)11月23日
本殿(流造)8坪 拝殿(入母屋造)18坪
11月23日
有り 正月三が日・例祭日以外は宮司に事前連絡が必要