慶長年間に、山城国稲荷大神(現在の京都伏見稲荷大社)の分霊を鎮祭したのが創建。
御祭神、稲蒼魂命は稲霊で、我々の生命の源である食物を司る神、農業の守護神、商売繁盛の神として信仰されています。
当初は、現在の多摩川の辺に鎮座していたが、正保年間の大洪水のため現在の社地に遷座したという。万葉の昔から「てつくりの里」と詠われた土地柄ゆえに、手津久里稲荷と称し、村民挙げて尊崇し、殊に府中領初代代官高林弥一郎が社殿を改築するに至ったと伝える。
明治十四年に押立神社と改称し、翌十五年には氏子らによって社殿を造営し大いに旧観を改め、有栖川宮一品幟信親王、特に「押立神社」の四字を御染筆額面として下賜せられた。祭事は、二月に初午祭、九月に例大祭を執り行う。