当村は本尾張國中島郡新井ノ庄なるも、天正十二年八月木曽川改修工事起こり本郡は東西に両断さる。貫流する木曽川を以て濃尾の國境と豊臣秀吉公定む。爾後美濃國中島郡新井ノ庄となりて天領の支配下となる郷民は翌年八月一祠宇を建立し、高皇産霊神、神産神霊神、天津彦火々瓊々杵神を奉斎し、高彦神社と称辞奉る、郷土の鎮守の産土神と尊崇して現在に至れり。明治二十九年九月木曽川大洪水の為堤防決壊し、社殿流失し、重要記録一切消滅せり。然れども現氏子奥田武市所有古文書記事中に元禄十二年五月新井村庄屋大島吉右衛門より笠松奉行所へ報告書に社殿六尺四方板葺拝殿立て二間横三間と記載しあるを以て古社なる事明らかなり。(岐阜県神社庁HPより)