くにかみじんじゃ
埼玉県秩父郡皆野町国神709
本社は、元、琴平神社(古くは金毘羅社(こんぴらしゃ))と称した。古記録は備わっておらず、その創立年代等不詳であるが、天正年間(1580年頃)北条の家臣、多比良丹波守忠平(たひらたんばのかみただひら、..
本社は、元、琴平神社(古くは金毘羅社(こんぴらしゃ))と称した。古記録は備わっておらず、その創立年代等不詳であるが、天正年間(1580年頃)北条の家臣、多比良丹波守忠平(たひらたんばのかみただひら、児玉黨)がこの地を領地としていたとき、武運長久を祈願して大物主命を勧請したと伝えられる。又、本社伝来の古刀には「奉納金比羅宮平治元年三月(1159年)施主」と刻印があり、その他、古代石器、古鏡等も保存されている。 さらに、境内付近の地名に「宮前」があり、社傍の道路を「金毘羅坂(こんびらざか)」といい、同所に流出する川を「神庭澤(かにざわ)」といっている。それらの名は何れも本社の存在によって起こったものであろう。この地方では蟹を大神眷属(おおかみけんぞく)と称して、これを神前に奉奠祈願(ほうてんきがん)していた。川の名を「神庭澤」と称え、蟹を生擒(いけどり)しない風習が古来から伝えられている(今は神庭澤を蟹澤(がにざわ)といっている)。 仮殿にすぎなかった御社殿を改築し、明治三十四年一月二十七日竣工、現在の御社殿となった。 明治四十年七月十二日、金崎上鄉(現皆野町大字国神)の各社を合祀して、社号を國神神社と改称した。 昭和二十七年五月一日、宗教法人となった。
金崎上鄉(現皆野町国神)の各社を合祀して、社号を國神神社と改称した。
大物主神(おおものぬしのかみ) 他、合祀二十柱
創立年代等不詳 (伝)天正年間(1580年頃)
例大祭 十月十日
無料
約10分
有り