あたごじんじゃ
新潟県上越市国府1-15-7
愛宕神社は延歴元年(西暦七百八十二年今から一千二百年前)勧請して愛宕大権現と号す。 古代春日山麓愛宕谷に鎮座されしを上杉謙信公深く崇敬せられ、永緑四年六月(西暦一千五百六十年)今から四百二十二年前..
愛宕神社は延歴元年(西暦七百八十二年今から一千二百年前)勧請して愛宕大権現と号す。 古代春日山麓愛宕谷に鎮座されしを上杉謙信公深く崇敬せられ、永緑四年六月(西暦一千五百六十年)今から四百二十二年前に山紫水明の地愛宕国分に奉還せられ 神領境内地九町七反歩(二万九千ー百坪約十ヘクタール)を寄附せらる。当時の領地内には愛宕神社の別当寶寺院を 始めとして親鸞聖人の旧跡小丸山坊、白山社、多良坊社等多数の社寺が散在す。上杉謙信公は戦場に出陣の砌流通必ず出神社々前に於いて祈願せらる。 公能州征伐に出陣の砌り誓書を神前に奉し聖徳太子の作とわれる昆沙門天王、公自ら特兵を指揮する軍配扇陣貝等(重要文化財)を奉納寄願せられたり。 徳川時代に至り三代徳川家光公始め歴代将軍より社領録高二百石の御朱印地を賜る。 高田城主松平伊豫守公深く崇敬せられ神刀一振(銘 越後 高田 住 時宗)を献納さる。
注記 永録四年は西暦一五六一年 (愛宕神社々前由書より)
伊邪那美命 火産霊神