平安時代の大同2年に弘法大師の開基で創建されたそうです
かつては本坊成就院と金剛坊、胎蔵坊、東光坊 西光坊、南光坊、北光坊の僧坊6坊があったそうです
天禄元年7月17日に内海の網にかかった黄金仏を奉安したところ、毎年節分と7月17日と大晦日に南海に龍燈が昇り、境内のカイヅカイブキの木の梢に留まって海路を照らしたそうです
以来この木を龍燈木と呼ぶようになり現在も山門と鐘楼の間に古株となって保存され高燈籠として使われているそうです
長元2年に火災によってすべてを焼失したそうです
壽永元年に安徳天皇が平家と共に都落ちし水島の地に陣を構えた時、海中より龍燈があがり戦勝を祈願したところ源氏に勝ったことから霊験あらたかであるとして鶏徳寺として再建したそうです
江戸時代には領主水谷家の庇護を受け、北谷の北の坊と前谷の法蓮院を合併したそうです
第二次世界大戦後無檀無住となり荒廃しましたが、その後住職が入山し昭和57年に鐘楼を再建したそうです