かつらぎじぞうそん
福岡県福岡市博多区上呉服町5−148
本尊である梵字が刻まれた石碑は、延喜年中(901~923年)に地中から掘り出されたもので、その当時は浜辺であった冷泉津の「富士見坂」と呼ばれた当地に地蔵尊として祭られたものと伝えられています。その後..
本尊である梵字が刻まれた石碑は、延喜年中(901~923年)に地中から掘り出されたもので、その当時は浜辺であった冷泉津の「富士見坂」と呼ばれた当地に地蔵尊として祭られたものと伝えられています。その後、宝満山の修験者・山伏が鎮護国家のための『葛城入峰』の際には必ずこの地で法華経を詠む霊場となったため、「葛城地蔵」の名を称えるようになったといわれています。この町には昔から大火事があったことはなく、福岡大空襲でも戦火は手前で止まり、焼け残りました。これは葛城地蔵尊のおかげだと信じられています。また、出征した町の青年30名も一人残らず無事帰還し、交通事故で亡くなった人もこの町にはいないそうで、「生き残り地蔵」ともいわれています。 (2023博多旧市街フェスティバルガイドブックより)
梵字が刻まれた石碑