延喜式内小社。長国の祖神、観松彦色止命が初めて佐那に移住し、山野を開き水田を起こし、海浜の地に漁業を教えて産業を開発した。成務天皇(84~190)の時に、観松彦色止命九世の孫、韓背足尼(からせのすくね)が長国造となり、祖神観松彦色止命を長峰の中腹に奉斎し、延喜の制で国幣小社となった。戦国の世に社殿を破壊され、旧跡に形ばかりの小社で祭祀を奉祀した。天保11年(1840)社殿改築、明治21年(1888)神殿建築されたが、神社明細帳から漏れていたため、神職の任命が無く社殿は荒廃した。大正9年(1920)12月宮内省諸陵寮考証官の実地調査が有り、同14年9月境内を拡張し本殿を改築した。更に昭和9年社殿を改築した。