ながやつはちまんじんじゃ
埼玉県比企郡吉見町長谷1185-2
当社の創祀は古く、天慶年間(938-947年)に下野守藤原秀郷が村民らと共に応神天皇を祀って一社を建立したことに始まると伝えられている。 『風土記稿』には「八幡社 村の鎮守なり、長永寺の持、末社 ..
当社の創祀は古く、天慶年間(938-947年)に下野守藤原秀郷が村民らと共に応神天皇を祀って一社を建立したことに始まると伝えられている。 『風土記稿』には「八幡社 村の鎮守なり、長永寺の持、末社 稲荷社 諏訪社 浅間社」と載せている。これに見える長永寺は岩田山密教院と号する真言宗の寺院であったが、明治元年に廃寺となった。 鎮座地は元来、八幡山と呼ぶ小高い山(標高72メートル)の頂であった。参道は「男坂」と「女坂」があり、「男坂」が111段の石段を一直線に登り詰めるのに対し、「女坂」は緩やかな坂を登って行くものであった。 しかし、昭和40年代に入ると、関越自動車道久喜インター建設のための採土がこの山の周囲で行われたことから、参道の各所に崩れが生じ、参詣に支障を来すようになった。このために社殿等の移転を余儀なくされ、山麓に新たな社地を選定し、昭和47年4月15日に遷座祭を執り行った。山頂にあった社殿をはじめ石造物などもすべて新たな社地にそのまま移し、更に参道の111段の石段は、神徳の更なる興隆を願って社殿の基礎に使用した。 なお、かつての鎮座地である八幡山は既に跡形もなくなっている。
天慶年間(938-947年)に下野守藤原秀郷が村民らと共に応神天皇を祀って一社を建立したことに始まる
誉田別尊
天慶年間(938-947年)
7月24日