かんのんじ
山形県米沢市大町4-1-47
修験・祈願寺院。明治以前、別称・三十三観音堂。今を遡る建長年中、奥州伊達・粟野次郎蔵人義廣(後に、覺仏と称す)が米沢の霊地、城北・白子神社左辺に、自ら刻した等身大の三十三体の観音像容を祀り、本覚寺を..
修験・祈願寺院。明治以前、別称・三十三観音堂。今を遡る建長年中、奥州伊達・粟野次郎蔵人義廣(後に、覺仏と称す)が米沢の霊地、城北・白子神社左辺に、自ら刻した等身大の三十三体の観音像容を祀り、本覚寺を創建、後に善性院と改める。次いで、観音寺と改称された。慶長四年に降って、米沢の開祖・直江兼続公より現在地を賜って移建したが、正徳三年、開山より464年経た観音堂は類焼、義廣が自ら刻した三十三体の観音像容も灰燼に帰した。新刻の像を収めるも、大正八年までの間、6度火災に遭い、古記録・什物を失い、詳細不明。
大悲山
真言宗
醍醐派
大日如来
三十三観音堂
米沢三十三観音十五番札所
JR米沢駅から徒歩15分位
無料
有り