ぜんりゅうじ
山形県米沢市相生町7−113
当山は元亨2(1322)年2月、玉沢妙法華寺第四世大恵院日運上人を開山として越後国頸城郡高田に建立された。そののち上杉家の移封により、慶長6(1601)年、第8世日秀上人の代に米沢へ移転。元禄3(1..
当山は元亨2(1322)年2月、玉沢妙法華寺第四世大恵院日運上人を開山として越後国頸城郡高田に建立された。そののち上杉家の移封により、慶長6(1601)年、第8世日秀上人の代に米沢へ移転。元禄3(1690)年11月、第11世日遍上人の代に水戸徳川光圀公が帰依。その祈願所となり小本寺格の免許を得た。しかしながら文政7(1824)年4月、元治元年(1864)の2度の火災により宝物その他一切を消失したため詳細な寺史は解らない。 3年ののち慶応3(1867)年5月、第20世日事上人が再建復興。しかし大正6(1917)年5月22日、米沢大火により罹災。7月再建するも大正8年再度の大火で焼失。そこへ山形大宝寺大山僧正より薫育を受けた鈴木遵明上人が晋山。当山第27世として尽力し、昭和3年本堂並びに庫裏を再建。当代においては昭和60年7月、位牌堂を新築し合わせて本堂改修を行い、近年、境内整備を行っている。 また当山には藁科松伯氏の御墓がある。松伯氏は上杉鷹山公の侍医で博学強記の儒者であった。政治的にも見識の高い方で上杉家お家騒動の折りに竹俣当綱を助けて奸臣森平右衛門を倒し上杉家の建て直しに尽力した。さらに細井平洲氏を鷹山公の賓師として推薦した方でもあった。明和6年8月、33歳で逝去。当山本堂に藁科家3代の御木像が安置されている。
弘法山
日蓮宗
1322年
久遠実成の釈迦牟尼佛
玉沢妙法華寺第四世大恵院日運上人
無料
有り