真言宗豊山派で宮の遍照寺の末寺であり昌福山元福寺(しょうふくざんげんぷくじ)福蔵院といいます。
本堂は永享年間(1430年頃)宥日上人の中興開山と伝えられています。享保9年(1724年)に再建され、宥将中興、(願主佐々木宇兵衛妻雷神母)、とあります。また弘化2年(1845年)火災のため再建され、真竜中興、(願主佐々木豊永)とあります。
昔は東向きでしたが、成田の村がだんだん西に発展したので、西向きに建てられ、庫裡の位置が他の寺と反対だといわれています。昭和27年萱葺き屋根がトタン屋根にかえられました。
山門に掛けられている「密厳堂」とはここから中は神聖なところという意味で、観音堂の「大悲閣」という額の文字とも薩摩の国(鹿児島県)の書家浩然和上が書いたものです。密厳堂の彫刻は平吹市之丞の作といわれています。
約40aの境内には、観音堂、金色堂、鐘堂、宝蔵、本堂、位碑堂、庫裡があり、本堂の前には珍しい老松があり、後ろには東庭があります。