まるやまはちまんぐう
山口県萩市大字弥富下第987番地
由緒伝説によれば、神亀2年乙丑年豊前国宇佐より勧請。福田・弥富両村の境八幡原に社を創建。福田・弥富の産土神社として祀られていた。その後領主益田家の領分と相成り慶安年中御検地の節、弥富村字馬場に御引社..
由緒伝説によれば、神亀2年乙丑年豊前国宇佐より勧請。福田・弥富両村の境八幡原に社を創建。福田・弥富の産土神社として祀られていた。その後領主益田家の領分と相成り慶安年中御検地の節、弥富村字馬場に御引社し、更に貞享甲子元年3月現在地に旧益田家(益田刑部)の祈願所として建立崇敬され、春秋の祭典には警護の役人ともに参社し、武運長久・五穀豊穣を祈願され、領主より三方・幕・戸張ほか祭器の寄進もたびたびと記録あり。現在弥富地区の産土八幡宮として敬われている。祭神は、応神天皇・神功皇后・多岐理比売命・市岐島比売命・多岐津比売命で、神宝として左甚五郎の造立と伝えられる「木造狛犬」それに芝山権中納言持豊卿御染筆「社号額面」がある。