かくねんじ
茨城県日立市金沢町4-14-24
覚念寺の伝承によると、開基・唯信は俗名を佐々木左衛門尉源高重という。ちちは源頼朝の御家人として有名な佐々木高綱で、その三男とされる。 建保6年(1218)高重三十三歳のとき、世の無常を観じ出離の志..
覚念寺の伝承によると、開基・唯信は俗名を佐々木左衛門尉源高重という。ちちは源頼朝の御家人として有名な佐々木高綱で、その三男とされる。 建保6年(1218)高重三十三歳のとき、世の無常を観じ出離の志をいだいて、稲田草庵に親鸞聖人を訪ね、専修念仏の教えを聞いて弟子となり、法名を唯信と賜ったと伝えられる。 その後、唯信は那珂郡小瀬の畠谷に一宇を建て、覚念寺と名付けたと伝えられる。 天正8年(1580)小瀬領主の山形信濃守が佐竹義宣によって滅ぼされたとき、覚念寺も兵火にかかり焼失した。しかし間も無く、文禄4年(1595)には再建。さらに慶長5年(1600)藩命により現在地である金沢に移った。 水戸藩主・徳川光圀は、覚念寺をたびたび訪れたといわれている。
畠谷山
清岸院
真宗
高田派
善光寺式阿弥陀三尊
唯信
唯信房:健保六年(1218年)
親鸞聖人二十四輩霊場 第二十三番札所
あり