わだじんじゃ
三重県亀山市和田町1168
延暦年間、大和の人紀真竜が石ノ上布留の神を信仰しておりその神託によって、この地に熊野権現を勧請し熊野社を創建したと伝えている。足利時代には、新熊野権現と称し、当社の別当であった那智山石上寺の僧和田大..
延暦年間、大和の人紀真竜が石ノ上布留の神を信仰しておりその神託によって、この地に熊野権現を勧請し熊野社を創建したと伝えている。足利時代には、新熊野権現と称し、当社の別当であった那智山石上寺の僧和田大輔房資盛へ後村上天皇より御綸旨を、また、将軍家よりは御奉書などが下付されたことも伝え、万人の崇敬が厚かったことがうかがえるが天文、弘治、永録の乱によって衰微した。社伝によれば、往時和田の地にある大火あり、火伏せの神として尾張の津島神社から牛頭天王をここに勧請して合祀したという。
《主》建速須佐之男命,《配》伊邪那美神,天照大神,刃具神,罔象女神,埴安毘売命
(秋祭)例祭、天王祭