いじりじんじゃ
三重県三重郡朝日町柿2567
当社の創祀については詳らかにはし難い。元は柿村大字井戸尻の田間に鎮座し、貴船大明神とも称された。本社は『延喜式』神名帳式所載の伊勢国朝明郡二四座のうちの井後神社に比定されている。近世の請書には諸説が..
当社の創祀については詳らかにはし難い。元は柿村大字井戸尻の田間に鎮座し、貴船大明神とも称された。本社は『延喜式』神名帳式所載の伊勢国朝明郡二四座のうちの井後神社に比定されている。近世の請書には諸説があり、それぞれに難点をもち、何れとも断定しがたいが、明治八年(一八七五)当社が教部省より式社として達しをうけている。田間の地は、古くは今村と称し、その氏神であったが、その今村が約ニ○○年程前に柿村に合併し、柿村の産神として更に崇敬をあつくされた。社記によれば、柿村字元田一〇九三番地の田間に境内地六畝二五歩を有したと伝えている。明治四一年宇城之鎮座の無格社柿神社 同字無格社山神社を合祀した。しかしながら田開の地は、狭く低地で洪水等の恐れがあり、かつ人家より離れているため明治四四年字埋綱鎮座の式内社移田神社を合祀するにあたり、現在地すなわち旧柿神往訪に移転し、延喜式内井後神社と単称するに至った。其の後、大正四年(一九二九)村社列格。また三重県より神饌幣帛料供進社の指定をうけた。昭和二一年(一九四六)社格廃止。同年宗教法人として届け出、現在に至っている。
《主》高龗神,《合》建速須佐之男命,大山祇神
式内社(小)