こうみょうじ
山口県美祢市西厚保町原1266
当地には往古より真言の伽藍が存在していたという。平安末期には村内大日ケ浴にあった行基菩薩ゆかりの真言伽藍が荒廃したため、本尊大日如来がこの地に移されて光明寺と号していたという。 寺伝によると現光明..
当地には往古より真言の伽藍が存在していたという。平安末期には村内大日ケ浴にあった行基菩薩ゆかりの真言伽藍が荒廃したため、本尊大日如来がこの地に移されて光明寺と号していたという。 寺伝によると現光明寺の開基は真言時代の旧光明寺焼失からおよそ180年後の天正8年(1580年)であったという。かつてのご本尊大日如来が鎮座する草庵(大日堂)のそばに浄土教寺院として開かれたのである。明暦年間(江戸初頭・1655年頃)には、本村字下村(現在の西厚保町大村地区)にあった曼陀羅寺(当郷の地頭であった鎌倉下向武士の厚氏菩提寺)が玉空傳瑞和尚により引寺されている。この時より当寺は山号を「曼陀羅山」院号を「大日院」寺号を「光明寺」と号するようになり、曼陀羅寺より移された阿弥陀如来を本尊に迎え、浄土教の念仏道場として隆盛を誇ったという。以降も背後にある真言草庵(大日堂)との深い関係は続き、旧光明寺の歴史を色濃く残した真言霊場の地に建つ浄土宗西山派の寺院として今日に至っている。
建て替えのため平成24年秋に解体された旧本堂(写真)は、安永年間末期(1780年頃)に傳空上人により建立されたもので、江戸中期の典型的な寺院建築様式の古寺であった。本尊阿弥陀如来とその脇侍(観音菩薩・勢至菩薩)が納まる三尊宮殿は、背面に残された上人直筆の墨書により安永8年(1779年)に制作されたことが確認されている。須弥壇は約三百年前の宝永八年三月(1711年)喬空上人慈門和尚による設置であった。いずれも本堂建てかえの際に復原修理が行われている。
光明寺山門
本堂背後にあった大日堂(平成22年豪雨災害により被災解体)へ伸びる参道の入口には、いかにも時代を感じさせる山門がある。清末藩の資料にも建立時期は不明とあり、本堂よりもさらに古いものである。これまで幾度か部分的な補修が行われているが、天上板に彩色の施された仏画が確認出来、鬼瓦には菊の紋章が掲げてあるのが興味深い。
曼陀羅山
大日院
浄土宗
西山派
阿弥陀如来
有り