いこうひかわじんじゃ
東京都足立区東伊興2-12-4
毛長川沿岸に位置する伊興氷川神社は、渕の宮とも呼ばれています。地元では「ふじのみや」と濁って読んでいたそうです。 およそ6000年前、奥東京湾の海中にあった足立区が陸地化していく過程で、この付近が..
毛長川沿岸に位置する伊興氷川神社は、渕の宮とも呼ばれています。地元では「ふじのみや」と濁って読んでいたそうです。 およそ6000年前、奥東京湾の海中にあった足立区が陸地化していく過程で、この付近が最も早く陸地となり、大宮台地あたりからの移住者が、武蔵国一の宮である大宮(埼玉県さいたま市)の氷川社から分霊を勧請(かんじょう)したものと考えられており、足立区内最古の氷川社です。この周辺は渕(水を深くたたえているところ)が入りくんでいたところから「渕の宮」と呼ばれ、区内一帯が渕江郷や渕江領などと呼ばれるようになりました。 渕の宮は、渕江領の総鎮守だったと伝わっており、江戸時代の『新編武蔵風土記』の足立郡伊興村の項には、「氷川社 、当村及び竹塚、保木間三村の鎮守とす」と記されています。しかし、明治5年(1872)から、伊興一村の鎮守となりました。 祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)・櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)の三柱と伝わっています。
淵の宮氷川神社は、足立区東伊興にある神社です。淵の宮氷川神社の創建年代は不詳ですが、淵江領では最古の氷川神社で、淵江領の総鎮守社であったといい、その後、伊興村・竹塚村・保木間村の鎮守社になったといいます。明治5年村社に列格しました。
須佐之男命・大己貴命・櫛稲田姫命
不詳
足立区登録記念物(史跡)
有り(2台分程度)
無し