康平五年(一〇六二年) 陸奥守兼鎮守府将軍源頼義が、厨川を攻め滅ぼし俘囚の六郡の郡司安部の長男安部貞任を戦死させた。
源氏の基盤を固めた前九年の役である。 安部貞任が、一族の本拠地真六郎から北の厨川へ、山峽を忍んで駒を 進めたであろう、栄華の後の寂しい最後の逃避行となった。 安部責任の娘「真姫」が父責任の後を追いこの地大沢の滝川にさし かかった。父の身を案じ、父の身代わりとの思いだったのであろうか、この川に身を投じてしまった。 後に源頼義の子八幡太郎 源義家が「真砂姫」を哀れみ、現在の古滝大 明神の地に社を建立して「瀬織津姫命」を勧請、姫の霊を弔ったと伝えられており、地区内外を問わず厚い信仰を集め今日に至っている。 現在の社殿は文政年間(一八一八〜一八二九年)の建立で二度目の改 と伝えられ、「迦具士命」との合祀となっている。特に縁結びの神様 として地域社会の心の結び合いの所縁として親しまれており、毎年九月 九日賑やかに例大祭を行っている。
なお、当地「砂子」の地名は「真砂姫」に由来するとの説がある。
この地は速く時代の三〇〇〇年前から、清水を求めて人が住み着き、 東和町では数少ない弥生時代(天ヶ沢や八日市場)の遺跡も残されており、 水と共に暮らす人々の跡を止めているところです。 神の依代であった大檜木とともに、水に浮かぶ真砂姫の心を思い浮かべ ながらお参りください。