すわじんじゃ
山形県山形市渋江2241
諏訪神社縁起 御祭神 建御名方神 当社の創建は最上家初代の頃(紀元一千四百年) 渋江因幡守館を本村盾の内に築いた時、その居城の 軍神として、信濃国諏訪湖畔の諏訪明神より神霊を 勧請し、此の地に祭..
諏訪神社縁起 御祭神 建御名方神 当社の創建は最上家初代の頃(紀元一千四百年) 渋江因幡守館を本村盾の内に築いた時、その居城の 軍神として、信濃国諏訪湖畔の諏訪明神より神霊を 勧請し、此の地に祭ったのが嚆矢である 縁起書に依れば、一条天皇の御代(正暦五年) 源頼光公東北鎮撫の為、此の地の通過に当たり隅々 豪雨の為立谷川の氾濫に遇い、激流奔馬の如く 渡河全く不能となったので、天候の回復を天に祈願 せしに、彼方の森林により竜神立ち昇ると見るや 豪雨怱にして霽れ、逆巻く激流もしずまり、御無事 渡河し得た奇しき天恵に感じ、彼の竜神の立ち昇れる 森林を探すに、当神社の森であったので、頼光等一同 妙なる神恩に感謝し、陣中の画家に、彼の竜神の 英姿をかせて奉納すると共に村民に黄金十枚を 与え、此の画を更に額に描し彫刻して、奉納本殿中に 現存す其他、曽て神恩に感謝し、寄贈せる種々の宝物 就中、陸奥守頼義公、当社に参拝寄贈せる木造 鳥居、更には、最上義光公征韓戦勝祈願の 寄進せる秀吉公の木像其他諸他の寄進物は 安永五年以来、度々の白川の大洪水に依り流失 更に明治十五年保管場所小林甚六方の火災により焼失せり尚、現在の社殿は安永五年以来度重なる白川の 大洪水に耐え残った大欅の神木(高さ十丈余太さ三丈余) を以て、約一ヶ年を費やし既存の社殿(安永七年建立) を改め、明治十年七月二十七日流れ造りの現社殿を 建立したもので、村民其の他の宗敬篤く御祭神勧請 当初より、五穀豊穣並に身体健全としてあらた かな神恩に浴しつつ今日に至っている
建御名方神
自由
無料
アリ
無し