おとせだいみょうじん
京都府京都市伏見区南浜町263
当社は「寺田屋第六代女将 お登勢」をお祀りしています。 寺田屋は江戸時代より伏見南浜と大坂八軒屋の淀川間を三十石船で往来する船宿を大坂 側の堺屋と業務提携して営んでいました。江戸時代末期、一八四七年..
当社は「寺田屋第六代女将 お登勢」をお祀りしています。 寺田屋は江戸時代より伏見南浜と大坂八軒屋の淀川間を三十石船で往来する船宿を大坂 側の堺屋と業務提携して営んでいました。江戸時代末期、一八四七年頃に十八歳で第六代 寺田屋伊助に嫁入りしたお登勢は、人の世話をすることを厭わない性分であり、明治十年(一八七七)に逝去しました。 「寺田屋騒動」で上意討ちされた薩摩藩九烈士の供養や、 「寺田屋事件」での坂本龍馬など多くの尊王攘夷派の志士たちを保護、支援した生き様は、 お登勢の子 第七代 寺田屋伊助の心に刻まれており、明治二十七年(一八九四)の九烈士 三十三回忌に有志一同と、「寺田屋騒動」が起きた文久年間当時に一体であった寺田屋址地 (現在の建物東側)に記念碑を建立しました。 明治三十七年(一九〇四)には、お登勢が 坂本龍馬を支援した功に対し皇后陛下(昭憲皇太后)より恩賜を拝戴、その顛末を後世に 伝え残す記念として、下賜金で霊山の龍馬墓前に、また寺田屋に同文の碑を建立しました。 大正二年(一九一三)、江戸幕府最後の征夷大将軍徳川慶喜は明治天皇陵参拝後に寺田屋を 訪れ、二階座敷で鳥羽伏見の戦いを回顧しました。 昭和五十二年(一九七七)、お登勢没百 年祭を期に「お登勢明神」が祀られ、良縁成就のご利益があると云われ崇敬されています。
お登勢
1977年
無料
無し
寺田屋内