てんのうじ
宮城県大崎市岩出山上野目天王寺49-1
案内板によると 『推古天皇の時代(593)に、我が国の四か所に建立された四天王寺の一つであると伝えられている。 当時の七堂伽藍は焼失し、元暦元年(1184)に平泉の藤原秀衡によって再建され、運慶..
案内板によると 『推古天皇の時代(593)に、我が国の四か所に建立された四天王寺の一つであると伝えられている。 当時の七堂伽藍は焼失し、元暦元年(1184)に平泉の藤原秀衡によって再建され、運慶作の聖観音像と聖徳太子像を安置した。天正18年(1590)の大崎一揆の際に、再度火災にあい寺院は焼失したが、仏像は岩手沢城に移され、翌年伊達政宗公が米沢から岩手沢城(岩出山城)に移った際に再建され、仏像も本寺に戻った。 しかし明治38年にまたも火災にあい、聖観音像と聖徳太子像を失った。現在は室町時代に作られた如意輪観音と四天王像が、町の有形文化財に指定され安置されている。境内には、正和・建武・康暦等の鎌倉・室町時代の年号碑がある。岩出山町教育委員会』とあります。
我が国の四か所に建立された四天王寺の一つであると伝えられている。
興頭山
臨済宗
推古天皇の時代(593)
如意輪観世音菩薩 四天王
あり