はちまんじんじゃ
岐阜県美濃市保木脇下河和入会3番地
創祀元禄年間。兼六年間下河和に飢饉あり。土地の一部を保木脇に売る。保木脇之を横持と名付けて鎮守の神として八幡宮を祀る。氏子の為鎮座の地と共に山林四十町歩を保木脇・下河和の入会地とする。両集落の円満な..
創祀元禄年間。兼六年間下河和に飢饉あり。土地の一部を保木脇に売る。保木脇之を横持と名付けて鎮守の神として八幡宮を祀る。氏子の為鎮座の地と共に山林四十町歩を保木脇・下河和の入会地とする。両集落の円満なる時に於いても一神殿に於いて両集落各々別に祭事を行ふを常とする。何時の頃か識者両集落の将来に思いを致し、神社に対しての争いを防ぐため、極秘裏にご神体を二体とす。明治に至り、制度の定めにより村社となり、保木脇部落は氏子となり、下河和部落は崇敬者となるも、事実は従前と変はりなし。