緒社伝に、上古丹後国与謝郡より久麻久連この地を開拓し住民に農業を教える後社を建て祀ると、「参河郡村正記」に持統天皇伊勢国三重郡形部郷よ 参河国に行幸、信頼を奉幣使にたて和歌を献じた。 久麻久山雪降つむて高根をも佐美てそ見ゆる夜半の月 影「延喜式神名帳」参河国幡豆郡久麻久神社二座の内 の一社なり、中古は熊子明神、稲荷社と称した。慶安 元年(一六四八) 社領二十石を寄進、明治に及ぶ。同 五年五月郷社に列したが同六年三月村社に、同四十一 年九月供進指定をうけた。大正二年二月二十五日、字 大道南の三姫社と字珠弥堂の春日社と字大道南の神明 社を本社に合祀した。