社伝に、長禄二年(一四五八)創建とい う。古くより安産の神として地方民の信仰が深く、鵜葦草葺不合尊の産れる時に鵜の羽を葺草とし、甑は瓶の如き物を屋根より落すまじないあり。保母の地名も 玉依姫が皇子を養った縁によるものか。天明八年(一 七八八) 保母の領主松平政春、社殿を再建す。文化十一年(一八一四) 九月五日、領主松平政周戸帳二帳を 献進す。 天保十一年(一八四〇) 九月、本殿を再建し 亀井大明神と称した。明治制度改めにより、瓶井神社 と改称、明治五年十月十二日、村社に列し、同二十五 年拝殿を再建。同四十二年六月十七日、字稲荷下の稲荷社と境内社の八幡社 御鍬社を合祀し、大正二年一 月五日、本殿を改築する。同年十二月二十四日、供進 指定をうけた。