せいげんじ
山形県酒田市亀ヶ崎4丁目1-23
青原寺は慶長5年(1600年)、亀ヶ崎城主である志村伊豆守光安が開いたお寺である。志村伊豆守は、出羽山形藩主最上義光の智将といわれ、酒田繁栄の基礎を築いた武将である。志村伊豆守光安は、関ケ原の戦いと..
青原寺は慶長5年(1600年)、亀ヶ崎城主である志村伊豆守光安が開いたお寺である。志村伊豆守は、出羽山形藩主最上義光の智将といわれ、酒田繁栄の基礎を築いた武将である。志村伊豆守光安は、関ケ原の戦いと同時期に起こった慶長出羽合戦(長谷堂城の戦い)において、直江兼続が率いる多勢の上杉軍と対峙し、寡兵にもかかわらずその猛攻をしのいで城を守り抜いた。翌年には庄内地方に遠征したが、敵の兵や地元の農民に被害を出さずに酒田城を開城させた。これらの功績が評価され、酒田城を亀ヶ崎城と改めその城主となった。志村伊豆守は城壁を修理し、お堀を作り、藩士の住む場所を定めた。その際、もともと自分の領地であった山形市から寺を分けて酒田に移したのが青原寺である。また、志村伊豆守は、農業の興隆、酒田の港や河川、道路や街区などの都市基盤整備を進め、酒田繁栄の基礎を築いた。志村伊豆守は慶長16年(1611年)に病気で亡くなると、青原寺に埋葬された。
曹渓山
曹洞宗
慶長5年(1600年)
釋迦牟尼佛
三光存辰大和尚
志村伊豆守光安
庄内十三仏霊場 第8番札所 荘内平和百八観音霊場 第58番札所
酒田駅から徒歩26分
有り