はつしまいなりじんじゃ
兵庫県尼崎市北初島町2
享保元年(1716)、泉屋利兵衛、小山屋半六による新田開発に伴って、伏見稲荷より勧請、創祠されたと伝えられています。 往古、堺から神戸までの海辺は風光明媚な土地柄で、それは謡曲『雲林院』や『舟弁慶..
享保元年(1716)、泉屋利兵衛、小山屋半六による新田開発に伴って、伏見稲荷より勧請、創祠されたと伝えられています。 往古、堺から神戸までの海辺は風光明媚な土地柄で、それは謡曲『雲林院』や『舟弁慶』などにも表現されたりしていますが、当地はそれとともに水害の多い地域でもございました。社殿も幾度となくその被害に遭いましたが、明治43年には立派に再建されたものが大正、昭和には戦災を受けるも、平成まで護持されていたのですが、阪神大震災により倒壊いたしました。現在の社殿は平成10年4月に復興されました。(尼崎神社あんないより一部引用)
倉稲魂大神・宇賀赫大神・瑜迦比隋大神
享保元年(1716)
出世稲荷宮
10月23日
・阪神電鉄 大物駅から徒歩約15分 ・市バス 松島町下車南へすぐ
無
有り