しょうせきじんじゃ
和歌山県有田郡有田川町楠本1265
社記に依れば、人皇第六六代一條天皇の御守、永祚元(989)年8月10日、阿瀬川郷楠本の里、中の峯天野壇上に一夜にして高さ16丈の巖出現し給い、里人に告げて曰く「吾れは阿波国杉尾神なり、播州にては生石..
社記に依れば、人皇第六六代一條天皇の御守、永祚元(989)年8月10日、阿瀬川郷楠本の里、中の峯天野壇上に一夜にして高さ16丈の巖出現し給い、里人に告げて曰く「吾れは阿波国杉尾神なり、播州にては生石子明神なり、今や比処に迹を垂れ國家を守護せん、殊に婦人は難産なく子孫繁栄を誓ふ」との御神托あり、茲において里人等社殿を築造し、応神山生石神社と号し奉り篤く崇敬したとある。 一説には天慶元(938)年1月18日に御鎮座ありとの説もあるが、これは当社の記録ではない。 本殿裏山の夫婦岩は今も御神体として尊ばれ、神職以外の者の立入りは禁止されている。 昭和27年国家の管理を廃し、宗教法人生石神社として独立、神社本庁を包括団体とする。 昭和62年3月社務所及び神饌所を改築し、翌63年6月御鎮座1,000年の式年祭を執行した。 境内地山林に赤樫の巨木あり、平成6年「天然記念物」として町指定を受ける。 尚、当社は県立生石高原自然公園の中腹に在り、4月29日(昭和の日)の山開きより、芒の穂がたなびく秋までハイカーで賑わい殊に女性の参拝がめだつ。 例祭の10月14日には御輿、獅子舞、投げ餅も行う。
生石(しょうせき)神社は、永祚元年(989)に一夜にして出現した高さ30メートル以上の巨岩に神が降臨し、そこに社殿を建立したことに始まるとされます。 現在も社殿背後には、ご神体の巨岩がそびえています。
大穴牟遲命 少名彦命
木造銅板葺
10月14日
無料