しょうがんじ
山形県東田川郡庄内町家根合菖蒲島70
元和8年(1622年)8月18日山形藩主第13代最上義俊(一説家信とも言う)17歳、不行跡、御家騒動の責任を問われ、改易となる。領地57万石収公(取り上げられる)され、城主である義俊は近江国(滋賀県..
元和8年(1622年)8月18日山形藩主第13代最上義俊(一説家信とも言う)17歳、不行跡、御家騒動の責任を問われ、改易となる。領地57万石収公(取り上げられる)され、城主である義俊は近江国(滋賀県)大森に1万石を与えられて移住となる。それによって生活の基盤を失った相馬主計は最上出羽守主殿之介の従臣で300石の土であったと言われている。 数人を連れて新天地庄内の地に入り、不退轉の意をもって統治を開発。 明暦2年(1656年)松岩寺が創建と記載されている。
安国山
曹洞宗
明暦2年(1656年)
釈迦牟尼仏
総隠寺第六世万年義観大和尚
相馬主計
出羽七福神八霊場 布袋尊 荘内地蔵菩薩八十八霊場 第57番札所
余目駅から車で7分
無料
有り