弘安8年日蓮大聖人25人目の弟子「中老智福院日祐聖人」が三河の国、吉田に建立したのが當山最初の始まりである。第2世の時、酒井家初代忠次公が日蓮宗へご帰依なられ、爾来この寺は酒井家と共に守護菩提を弔い一緒に歩むことになる。天正19年酒井家2代目「家次公」の時、下総の国、慶長9年上州高崎、元和3年・越後高田さらに元和5年・信州松代とお所替えになり、元和8年酒井家第3代目「忠勝公」の時、ここ庄内鶴岡に移られたのである。蓮乘寺は貞享元年最初の火災より弘化3年に至るまで4度火災の運命に会いその都度再建してきたが、4度目の火災で堂宇の再建が困難で、やむおえず藩主の屋敷を頂き仮本堂にすることおよそ150年、住職7代に渡って平成3年3月まで続く。 昭和62年現住職「日篤」が第23世を継承し現在に至る。現住職日篤は、平成元年1月より現本堂・位牌堂・庫裡の建設を計画、檀信徒と一致団結してまる3年の歳月をかけ平成3年12月全面完成竣工となる。 蓮乘寺は、総本山・甲州身延山久遠寺の直末寺にして永く「聖人寺」としての寺格を持ち、歴代住職は僧侶最高の栄誉である「紫紋の袈裟」の着用を許された「由緒寺院」である。