ほんじゅうじ
山形県鶴岡市三光町1-46
本住寺の創建は不詳だが一時衰退していた浄土真宗の寺院を永正13年(1516年)に観妙院日受上人が日蓮宗の寺院として改宗開山した。 寛永9年(1632年)に肥後熊本藩主加藤忠廣(旧豊臣恩顧の大名で加藤..
本住寺の創建は不詳だが一時衰退していた浄土真宗の寺院を永正13年(1516年)に観妙院日受上人が日蓮宗の寺院として改宗開山した。 寛永9年(1632年)に肥後熊本藩主加藤忠廣(旧豊臣恩顧の大名で加藤清正52万石の嫡男)がお家騒動の為改易(旧豊臣方の大大名だった為、幕府の策謀説が有力)され、庄内藩(藩庁・鶴ヶ岡城)に預かりの身となった。 忠廣は自らの居館が出来るまで本住寺を仮住まいとし、その後丸岡に堪忍領1万石として入った。その後は幕府から許される事もなく承應2年(1653年)に21年間に及ぶ蟄居生活に休止符を打ち、加藤家が日蓮宗だった事もあり本住寺に埋葬された。その時、丸岡の居館の一部を移築し、本堂を増改している。その後も何度も火災や倒壊にあい現在に至っている。境内には忠廣と母正応院の墓碑の他、寺宝にも加藤家縁の品々が伝わり、日蓮作と伝わる大曼陀羅などがある。
金照山
日蓮宗
不詳
日蓮聖人奠定の大曼荼羅
観妙院日受上人
山形県史跡 加藤忠廣公墓 加藤清正夫人墓
鶴岡駅から徒歩25分
有り