楞厳寺(りょうごんじ)は、山号は金剛山、真言宗御室派の寺院で本尊は聖観世音菩薩です。
元は法相宗ともいわれ、弘仁4(813)年弘法大師が諸国巡錫のおり真言宗に改宗したといわれています。
延応元(1239)年知見上人によって再興された古刹で、室町時代後期、福光美濃守兼国がこの地を所領とし、福光氏の武運長久を祈る祈願寺として信仰を得ました。
永禄2(1559)年、福光氏の所領を吉川経安がもらい不言城(福光城、物不言城)を居城とし、鳥取城攻めで有名な名将10代目城主・経家に纏わる墳墓について、石見吉川家系図に「営寿墳矣、石州福光県内楞厳寺方」として記されています。慶長6(1601)年に経実が岩国へ移住し廃城となり、当山も栄枯盛衰をみました。
江戸時代初期、大森羅漢寺の住職の月海浄印が、五百羅漢を福光石工坪内平七一門に建立を依頼し、五百羅漢について指導したのが、当山の住職であったと伝えられています。平七一門は25年の歳月をかけて羅漢像を完成し、その後檀家となりました。
明治6(1873)年には、学制が発布され第174番小学区として当山で開校しました。
観音霊場として今昔ともに深く帰依されています。境内には吉川経家公の供養塔の他、福光太郎兼久の碑が建っています。