津谷神社の由来
太子堂十年(一七九八)に奉納された梵鐘銘によ れば津谷野の開発主大川与五兵衛が、聖徳太子の国際栄にし、村の繁栄、五穀豊穣、身体堅周を願って村を 一望できる高台に建立、村の鎮守としたとある。
しかし、元和五年(一六一九)、最上源五郎の家臣日野 将の人に、太子堂の所在と仏供米が記されているこ とや、肥沃な津谷田の西一帯が太子堂、太子田と呼ばれ ているなどから、昔この地域に太子堂が祀られていたこと 物語っている。いかなるこの地に信仰が広まっ たかは定かでないが、太子の子供がこの地に流れ着き られたとも言い伝えられている。
本堂は、明治十五年、津谷神社と改称された。 津谷神社祭典 八月十日神楽納 八月二十日 神輿渡御・山車行列。
なお、津谷神社は、昭和十四年七月と昭和四十七年二月失火により焼失、二度とも同年中に再建された。
平成九年二月二十二日
津谷地区会