はがすわじんじゃ
山形県天童市東芳賀2丁目5
諏訪神社 南北朝時代、伊達伯耆守が南朝方の一将北畠天童丸を擁して、楯の城に いたという言い伝えがある。 芳賀の諏訪神社は、そのとき信州諏訪から、勧請されたものだといわれる 明治初年に、稲荷神社と..
諏訪神社 南北朝時代、伊達伯耆守が南朝方の一将北畠天童丸を擁して、楯の城に いたという言い伝えがある。 芳賀の諏訪神社は、そのとき信州諏訪から、勧請されたものだといわれる 明治初年に、稲荷神社と十二木神社が合祀された。 祭神は、建水方尊(たてみなかたのみこと)。かの大国主命の御子で勇猛な尊である。 延喜式による最も神格の高い名神大社で、狩、農、武の神として崇められる。 左側の板碑には、虚空蔵信仰をあらわす種子(しゅし)、タラークが刻まれてい る。大昔の虚空蔵信仰にかかわる壇があったものとうかがわれる。 右側の板碑は種子不明、区画整理で字稲荷田の鉄道沿線から移された。 あたりには、平安期のものと思われる壊れた石塔群があり 芳賀郷にかかるで あろう由緒の古さを物語っている。 神域の周辺は、古住、湧水が豊富で、古代の移民が住み着いたことが容易に うなずける。 芳賀の集落は、このあたり一帯に点在していたのだが、慶長のこ ろから、西方に集中移住し現在に至っている。 社叢には四本の楡(にれ)の大木がある。古語をタモまたはタマといい、豊饒 の地に育つという。 高擶(たかたま)の名に由来する種類だと言われている。
建水方尊
自由
無料
5分位
無し
有り